神戸簡易裁判所 昭和43年(ろ)784号 判決 1968年11月20日
被告人 坂本博
主文
本件公訴を棄却する。
理由
本件公訴事実は「被告人は、法定の除外事由がないのに、昭和四三年七月五日午後一〇時五分頃、兵庫県公安委員会が道路標識により一時停止すべき場所と指定した神戸市生田区北長狭通四丁目四三番地の一先道路において、軽四輪乗用自動車を運転して交差点に入るに際し、前方の道路標識の表示に注意し、一時停止すべき場所ではないことを確認して運転すべき義務を怠り、同所が一時停止すべき場所であることに気付かないで、一時停止しなかつたものである。」というのであつて、右公訴事実は、道路交通法の反則行為に該当する違反行為であるが、法第一二六条第一項第二号の「逃亡するおそれがあるとき」に該当するとして、告知、通告を経ずに公訴が提起されたものである。
そこで、まず、被告人が逃亡するおそれがあると認定した警察官の判断の当否につき考えるに、現行犯人逮捕手続書、司法巡査の兵庫県警察本部保安部警ら第二課長宛「道路交通法違反被疑者の逮捕時の状況について」と題する書面、被告人の司法警察員に対する供述調書、被告人及び証人中塚馨の当公判廷における各供述を綜合すると、当日午後一〇時頃無線自動車で中塚巡査等が機動警ら中、本部統制室から、鮎川筋と生田新道の交差点において交通事故発生し、これが原因で殴ぐり合いをしているから急行せよ」という指令を受け、現場に到着したところ附近に被告人運転の軽四輪乗用自動車が停車していたが、指令のような事犯は発見できず、附近の者に事情を聴取しようとしたとき、右停車自動車から二名の男が下車したので、その者に質問すべく、重信巡査が無線自動車から降りて質問を開始すると、右四輪自動車は急に発進し、附近に居合わせた男が、あの車が事故の原因車だと申告してくれたので、中塚巡査は周囲の事情から判断して何等かの犯罪に関係あるものと思い、右軽四輪乗用車を無線自動車で追跡したが、その途中において被告人は本件指定場所一時不停止の違反を犯し、その後被告人は約五〇メートルの間を走つたのち停車し、次いで中塚巡査もその後方に停車し、その場において、逃亡するおそれがあるという理由で被告人を現行犯人として逮捕したものであることが認められ、右逮捕の主たる目的は交通事故による殴ぐり合い事件の取調べのためではなかつたかという疑がいがあるにしても、その当時の状況においては、警察官が逃亡するおそれがあると判断したこともやむを得なかつたものと認めるのを相当とする。
そして、前記逮捕手続書及び被告人の司法警察員に対する供述調書によれば、被告人が逮捕されたのは右七月五日午後一〇時一〇分であり、同日午後一一時生田警察署司法警察員に引致されて身柄の拘束を受けたが、翌六日同署司法警察員の取調を受けて同日午後二時一〇分釈放されたことが認められるところ、警察官は被告人に対し告知の手続をとることなく、右釈放後一月二〇日を経過した八月二六日検察官に事件を送致したことは事件送致書により明らかである。
そこで、逃亡のおそれがあるという理由で逮捕した場合、その後その事由が消滅しても、もはや告知をすることができないとして、直ちに刑事手続をとることが許されるかどうかにつき検討するに、法第一二六条に、警察官は、反則者があると認めるときは告知の手続をとるべき旨及びその者が逃亡するおそれがあるときは告知の手続をとるを要しない旨を規定しているところ、同条の反則者があると認めるときとは、必ずしも反則行為を現認したときに限られるものではないのであつて、反則行為者で、法第一二五条第二項各号列挙の該当者は、反則通告制度によることができず、これら該当者でないことが明らかとなつて、初めて法第一二六条にいう反則者であることが確認できるのであるから、これが確認に若干の時間を要することが考えられ、また、そのためには反則行為の捜査と併わせて、反則行為者の取調を必要とすることはいうを待たないところである。従つて、現行犯逮捕の場合でも、反則者であることを確認するまでに、若干の時間的ずれのあることは避けがたいところであるのみならず、法が刑事手続によらない反則通告制度を設けて、一面反則者の利益と便宜とを考慮している精神に徴すると、一たん反則行為者を逃亡のおそれがあるとして逮捕した以上、その後にその事由が消滅しても、もはや告知、通告をすることはできないとすることは適当でないと考える。
そして、本件の被告人は、前記のとおり逮捕された翌日警察官の取調を受けたのち、釈放されたのであつて、右取調べが終了した時点において、反則者であると認めることができ、かつ、その時点においてはもはや逃亡のおそれはなくなつたものと認められるから、逮捕時との間に若干の時間的ずれがあつたにせよ、逮捕したのちに告知を要したものというべく、少くとも右釈放と同時又は釈放後すみやかに被告人に対し告知を要したものと認められるのである。
しかるに警察官は、このような場合もはや告知をすることはできないものとして、その手続をとらなかつたものであつて、結局本件は、反則者に逃亡のおそれがないのに、あるとして告知、通告を経ずに公訴を提起した場合に該当するから、公訴提起は無効と解するを相当とし、刑事訴訟法第三三八条第四号に則り本件公訴を棄却すべきものとし、主文のとおり判決する。
(裁判官 岡田高)